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リージョン (駆逐艦・2代) : ミニ英和和英辞書
リージョン (駆逐艦・2代)[よ, しろ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
駆逐 : [くちく]
  1. (n,vs) extermination 2. expulsion 3. destruction 
駆逐艦 : [くちくかん]
 【名詞】 1. destroyer 
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

リージョン (駆逐艦・2代) : ウィキペディア日本語版
リージョン (駆逐艦・2代)[よ, しろ]

リージョン (HMS Legion, G74) はイギリス海軍駆逐艦L級
==艦歴==
1938年3月31日発注。1938年11月1日起工〔''Fighting Flotilla'', p.222〕。1939年11月26日進水〔''Fighting Flotilla'', p.222〕。1940年12月19日竣工〔''Fighting Flotilla'', p.222〕。試験中多くの欠陥が明らかとなり、1941年1月まで修理に費やされた。
修理完了後、リージョンはグリーノックウエスタンアプローチ管区に配属され第11護衛グループ (11th Escort Group) に加わり、船団護衛などに従事した。2月、リージョンはノースウェスタンアプローチを通過する軍用船団を護衛。3月1日、リージョンはロフォーテン諸島に対するコマンド部隊による襲撃(クレイモア作戦)の支援で出撃。それらの任務を無事完了した後、リージョンは第14護衛グループ (14th Escort Group) に加わった。4月13日、リージョンと駆逐艦ピオルンは、アイスランド南方沖でドイツ潜水艦U-108に撃沈された武装商戦ラージプタナの生存者177名を救助した〔''Fighting Flotilla'', p.110〕。4月の残りの期間は船団護衛で費やされた。
5月、リージョンはドイツ戦艦ビスマルク捜索に当たる本国艦隊の主力艦を護衛した。だが、給油のためアイスランドへ向かったためビスマルク沈没に場には立ち会わなかった。このあと、リージョンは股船団護衛任務に戻った。
6月22日、リージョンと同型艦のランスの二隻がマルタへの航空機輸送作戦に参加する空母フューリアスジブラルタルまで護衛した。6月26日、ジブラルタルからマルタへの航空機輸送作戦で空母アーク・ロイヤルや巡洋戦艦レナウン、軽巡洋艦ハーマイオニーの護衛を務める。7月、リージョンはグリーノックに戻りウェスタンアプローチでの船団護衛任務を再開した。8月27日、リージョンはOG71船団の護衛部隊への造園として派遣された。イギリスへ向かう途中であった船団はドイツ潜水艦U-559、U-201、U-564の攻撃を受けていたが、護衛部隊は襲撃者を追い払うことに成功し、船団は8月25日にリヴァプールに到着した。
9月になるとジブラルタルへ移動し、マルタへの航空機輸送に従事する艦艇の護衛を務めた。9月24日、リージョンはハルバード作戦で船団の護衛を行った。作戦を終えジブラルタルへの帰投途中でリージョンと駆逐艦グルカはイタリアの潜水艦アデュア (Adua) を沈めた。10月もマルタへの船団の護衛を行った。10月23日、リージョンなどがHG75船団護衛中に護衛の駆逐艦の1隻コサックがドイツ潜水艦の雷撃を受け損傷した。リージョンなどが救援に向かったがその際リージョンは自由フランスのスループCommandant Dubocを潜水艦と誤認して攻撃した〔''Friend or Foe'', p.28〕。だが、幸いにもCommandant Dubocに被害は無かった〔''Friend or Foe'', p.29〕。
11月、リージョンは第4駆逐群に配属されマルタへの船団を護衛した。11月13日にリージョンはドイツ潜水艦U-205の攻撃を受け、反撃を行ったが不成功に終わった。一方で空母アーク・ロイヤルが被雷し、リージョンと駆逐艦ライトニングがその乗員1560人を救助した。アーク・ロイヤルが沈没すると、11月24日にリージョンはジブラルタルに戻った。
1941年12月11日、リージョンは地中海艦隊に加わるため駆逐艦シークマオリイサーク・スウェールズとともにジブラルタルを出港した〔''The Royal Navy and the Mediterranean, Volume II:November 1940-December 1941'', p.216〕。この4隻は12月13日に、北アフリカへの物資輸送中であったイタリアの軽巡洋艦アルベルコ・ダ・バルビアーノアルベルト・ディ・ジュッサーノを攻撃し撃沈した(ボン岬沖海戦)。この海戦でリージョンはアルベルコ・ダ・バルビアーノとアルベルト・ディ・ジュッサーノに1本ずつ魚雷を命中させた〔''Struggle for the Middle Sea'', p.153〕。海戦後、4隻の駆逐艦はマルタへ向かったK部隊とともに地中海中央部で枢軸国船団の攻撃にあたり、第1次シルテ湾海戦に発展することになる12月17日の戦闘では空襲を受けた。12月19日にはリージョンはC部隊とともにアレクサンドリアへ移った。それらがアレクサンドリアに入港する為防潜網が開けられた際にイタリアの人間魚雷が港内に侵入し、戦艦ヴァリアントクイーン・エリザベスを撃破した(アレクサンドリア港攻撃)。12月28日、リージョンと駆逐艦キプリングはメルサ・マトルーフ (Mersa Matruh) 沖でドイツの潜水艦U-75を沈めた。
リージョンは1942年1月中も船団護衛を続け、1月17日にはバルディア北方でドイツの潜水艦U-133の魚雷攻撃を受けた。リージョンは攻撃を回避したが、駆逐艦グルカが沈没した。1月27日から2月中旬までマルタでアスディックの修理を受け、それから第22駆逐群に転属となった。引き続き船団護衛に従事し、第2次シルテ湾海戦にも参加した。
3月23日、リージョンは駆逐艦エリッジと合流しクラン・キャンベルSS Clan Campbellを護衛した。この作戦中に空襲を受けて至近弾により損傷したが、マルタにたどり着きそこに座礁した。3月25日にリージョンはドックへ曳航された。だが、修理中に爆撃を受け沈没した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リージョン (駆逐艦・2代)」の詳細全文を読む




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